京阪沿線、ご朱印と幸せ求めて神社仏閣めぐり

私が実際にお参りしていただいたご朱印や、神社お寺の様子を動画や画像で、そして感想などをご紹介しています。 これからご朱印集めを始めようと思っているけれども、丁寧に対応してくれるのか、 邪険にされないかなどの不安をお持ちの方の参考になればと思って作りました。

片埜神社。私の個人的なつながり

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片埜神社 鳥居

私ごとで恐縮なのですが・・・

 

片埜神社と私のつながりは、もう、40年以上にもなります。
とは言っても、ずっとつながりがあった、ということではありません。

 

「よく、わからないが・・・」

 

片埜神社と初めてつながったのは、私が、専門学校生のとき。
神社の近くの学校に通っていたから。

 

当時は、そこに神社があったのは知っていましたが、
名前も、由来も、何も知らず、お参りするということもありませんでした。

 

「それって、つながりとかじゃないやん」

 

そう、でも、その後、つながりができていくのです。
それは、もう、びっくりするくらいの。

 

まずは、妻との結婚。

 

「それがなんでや。」

 

ええ、妻は、ずっと片埜神社がある牧野に住んでいたんです。ですから、妻にとっては、片埜神社は、氏神さまであり、産土(うぶすな)さまでもあるんです。

 

「ほう、ほう」

 

で、子供が生まれまして、子供のお宮参りは、片埜神社でした。妻の実家が牧野ですからね。そういうことです。

 

「それだけ? なら、普通やん」

 

ご朱印をいただいて、記事を書くために、片埜神社について調べていたとき。
ふと、私が小さいころに住んでいた神社のことも調べてみたのです。

 

私が生まれてから、3歳くらいまで過ごした家の近くには、山田神社という神社がありました。

 

子供の足でも、数分。いまなら1分くらいの距離でしょうか。
山田神社には、引っ越しをしてからお参りすることはなかったのですが。

 

友人から、

 

「小さいときに住んでいたところの神社にお参りするといい」

 

と聞き、たまにですが、お参りするようにしていました。ここは他の記事でも書いたので省略。

で、山田神社について調べていてわかったことが。

 

・山田神社は、片埜神社の氏地(うじち)であった
・1279年、片埜神社から分霊して、山之上神社となる
1873年、山田神社と改称

 

つまり、山田神社は片埜神社の分社(ぶんしゃ)、系列社(けいれつしゃ)。片埜神社の弟分ということ。

これで、私が妻に頭が上がらない理由が分かりました・・・(;^_^A

 

「神さんも、嫁はんのほうが偉いわけや(笑 」

 

ええ、すっごいつながりでしょ。

 

ただ、片埜神社でご朱印をいただく記事を書いてから、京阪沿線に関する記事を依頼されるようになりました。

つまり、片埜神社さんには、本当にお世話になっているということなのです。

 

今回は、私と片埜神社の、個人的なつながりをご紹介しました。
こんど、片埜神社にお参りされる時は、この話、思いだしてみてください。

 

「いや、せんし。いらんし、そんな話」

 

ありゃ、まぁ、でも。
あなたにもこんなつながりはありませんか?

今度のお休み、一度思い返してみてはいかがですか?
ひょっとすると、ひょっとするかもです。